スタートは機械設計業
1986年(昭和61年) 創業者が造船会社(古野電気株式会社)を退職し、有限会社小林設計として機械設計業をスタートさせました。起業当時は、機械設計業の傍ら図面の製図も請け負っておりました。
おりしも、時代は手書き図面からCADでの図面作成へと転換の時期を迎えており、いち早く、CAD導入を図りました。手書き図面の請負をCAD図面作成の請負に転換し、また、市内の企業へダイレクトメールを送り、顧客開拓を行いました。
1989年(平成元年)に株式会社に形を変え、それと同時に株式会社ハーテックと社名も変更いたしました。ハートフルテクノロジーという常にハートフルで世の中の役に立つ技術提供を目指そうという思いを込めた社名です。
CADオペレーターの養成とスクール、人材派遣免許の取得
1994年(平成6年)、現社長が半導体商社(株式会社菱洋エレクトロ)を退職してハーテックへ入社したころから、CAD製図の請負をしているうちに、相手企業様からCADオペレーターを派遣してもらえないかとの要請があり、CADスクールを開校することとなりました。
また、育成した人材を企業様へ派遣するために人材派遣登録を申請し、一般人材派遣業として認可していただきました。(般28-07-0001)
CADスクールは、やがてパソコンスクールへと形を変えていきました。一太郎やLotusなどの講習から、ある出会いから、AppleコンピュータのMac Schoolとして、イラストレータやフォトショップなどを中心に講座を開講して新たなスクールの形を探すこととなりました。
Apple の販売店 Mac ShopからPCショップ
Mac Schoolをする際にAppleから、スクールをするのなら、販売も行えば?という話になり、Appleコンピュータの販売を始めることになりました。当時はまだ、Windowsもない時代だったので日本ではAppleコンピュータを知る人も少なく、直接Appleの日本法人に問い合わせをして、スクールの許可を得たり、販売代理店を紹介してもらったりと今思えば、驚きの出来事です。AppleコンピュータのMacintoshの販売は、多くの阪神間のAppleファンのユーザー層に受け入れていただきました。当時は、伊丹の小さなビルの一角でありながら、たくさんのお客様においでいただきました。
そののち大阪難波でもMac SchoolとMac Shopを出店、当時では珍しいインターネットスポット(今でいうネットカフェのようなもの)を開設し、自社サーバーを立ててネット開設、楽天サイトで自社ブランドのメモリなどの販売も行っておりました。
この間に阪神大震災があり、会社としてもダメージを受けながら販売を続けておりましたが、Appleの経営戦略が変更となり、iMacなどの一般ユーザー向けの商材が直営販売となっていったところからハーテックは、DOS/V、PC(VAIO)販売へと方向転換することとなりました。
(PCショップは、その後、時代の流れと共に撤退を余儀なくされました。)
ソフト開発と人材派遣
CAD要員の派遣を行う傍ら、平成6年に現社長がハーテックに入社した際に、退職した会社からソフト開発ができる人材が欲しいと要望されたことから、開発要員の派遣にも力を入れることになりました。
白物家電の組込みソフト開発やシステム開発の派遣を行うとともに、データベースに特化したシステム開発の請負も少しずつ行っていくようになりました。人々の生活になくてはならない家電の制御プログラムは、時代と共に進化をとげ、今は、IOTも身近な技術となってきております。また、請負開発では、お客様にとっての業務改善や生産向上に役立つ一点ものの開発も多く、お客様と共にシステムを作り上げていく過程は、まさにハートフルテクノロジーの実践なくしては、喜んでいただけないことを実感いたしております。
阪急伊丹駅の復活とパソコン教室
1995年(平成7年)の阪神大震災で阪急伊丹駅は甚大な被害を受け、倒壊後3年間仮設駅のままでした。伊丹駅近くで営業をしていたハーテックも大ダメージを受けましたが、1998年(平成10年)に阪急伊丹駅が復活した際に駅ビル内にパソコンスクール部門とショップ部門を移し、「パソコンの塾・ハーテックアカデミー」として開校いたしました。
2001年(平成13年)には全国民がインターネットができるようにとの国の施策でIT講習が行われ、講習実施校として1年間で千数百人もの方々に足を運んでいただくことになりました。
PCショップは、やむなく数年で撤退することになりましたが、ハーテックアカデミーはその後、2012年(平成24年)まで駅ビル内でパソコンスクールとして続けさせていただいておりました。
また、2009年(平成21年)には基金訓練などの職業訓練事業も行い、就職に必要な方々にパソコンスキルを身に着けていただきました。
2012年(平成24年)~2018年(平成30年)までは、教室の場所を商工プラザに移して、「伊丹市立産業・情報センターパソコン教室たみぱそ」また、2019年(平成31年)4月~2021年(令和3年)7月までは、「パソコン教室たみぱそ」として多くの伊丹市民の方々に通って来ていただきました。
2020年(令和2年)からコロナが猛威を振るい、たみぱその教室運営もスムーズにはいかなくなりました。2021年(令和3年)9月より、本社機能のある阪急伊丹駅近くの西台駅前ビルで「たみぱそデジタルらぼ」として、パソコンにとどまらず、デジタル全般に通じたお役立ちを提供できるように活動しております。
ものづくりへの想い
創業者、現社長も技術者だったため、ものづくりと関わった業務(設計、CAD、技術者派遣、ソフト開発)を展開してきましたが、実際のものづくり実現への想いは継続しており、1999年(平成11年)からMacのサプライ品を製造販売(iBow、Heartable)し、2003年(平成15年)には、福祉施設をネットで結ぶ高齢者支援ITツール(楽笑タイム)を開発いたしました。
楽笑タイムは、2004年(平成16年度)中小企業経営革新事業費補助事業としても認められました。事業化には至りませんでしたが、ネットを通じた見守り介護が実現している現代において、着目点はあながち間違っていなかったのではないかと振り返っています。
ただ、中小企業にとって実現への投資を継続していくことの困難が現実ではありました。その後、2007年(平成19年)に新たなものづくりの話が舞い込んできました。現在の超音波霧化器の製造の原点になる出来事です。(詳しくはこちら→開発ストーリー(超音波噴霧器編)
この出来事をきっかけに、ものづくり、空間除菌への新しい分野にチャレンジすることになりました。2015年(平成27年)を転機に現在も自社製品の開発を続けております。
2020年(令和2年)のコロナ騒動から開発ストーリーにもある厚生労働省の通達による空間噴霧に対する抑圧であったり、コロナの5類移行など市場の変化に伴って、噴霧器の提案場所を変えざるを得なくなりました。空間除菌とともに消臭にも目を向け、2022年(令和4年)に次亜塩素酸以外で除菌消臭に有効な液剤MA-T(アース製薬)と出会い、ジョックス50という無人空間での除菌消臭空間を作れる装置を開発いたしました。ジョックス50は大阪大学薬学部でも実験に使用して頂いており、ハーテックの「濡れない霧」で新たな市場を開拓しております。
ものづくりへの道、次へ、次へ
自社製品他社製品問わず、業界問わず、ものづくりに役立つコンピュータ技術の提供を続けていきたいと考えており、「アイディアをカタチに」するものづくりを目指している中で、2023年にトレーニング用競泳タイム計測機器「スイムタッチ」を自社製品として発表することになりました。
これは、コロナ前から開発を少しずつ進めていたもので「なんでコンピュータ屋が水泳業界なの?」と言われることが多いのですが、「業界問わずアイディアをカタチにする」「お困りごとを電子技術の力で解決する」を目指しているハーテックでは「これも一つ」の製品です。
スイムタッチの開発ストーリーはこちら→
今後もハーテックは、ハートフルテクノロジーの実践でコンピュータの力でのお役立ちに邁進してまいります。